投資信託は無価値です 価値と顧客本位に思うこと

投資信託は無価値で、顧客の資産形成に寄与して初めて価値を生むという記事を読みました。[外部記事]

過去記事:銀行と企業の関係に、医師と患者の関係を当て嵌めることへの違和感

でも取り上げたHCアセットマネジメント株式会社の森本紀行氏の見解です。

今回は、価値と顧客本位について


東京から大阪へ


東京から大阪に行くのに新幹線を使う人、飛行機で行く人、自分で車を運転していく人、船で行く人もいるかもしれません。時間をかければ自転車でも歩いてでも行けます。バイクで行くのもありですね。

行き方は複数あります。どれか一つが正解とか、どれかが間違っているわけではありません。

ものごとに対する見方や考え方も同じですね。森本氏は新幹線を使って、私は船旅をしている。そんな違いだと思います。


さて、価値について


重要な部分を引用します。

商品の悲劇は、商品には価値を内包しないことです。価値は、顧客が見出すものであり、顧客のなかにあるのです。ネクタイは無価値です。顧客が着用したときに価値を生むのです。融資は無価値です。その資金が顧客の事業に投下され、回転されて初めて価値を生むのです。投資信託は無価値です。それが顧客の資産形成に寄与して初めて価値を生むのです。


さて、どうでしょう。

私は違う考えです。

価値は、顧客が見出すものではありますが、それだけじゃないという考えです。また、有益かどうかと価値があるかどうかは少し別問題だと思います。今回は有益性ではなく価値に焦点を絞ります。


主体と客体


価値は主体にあるのか客体にあるのかの哲学論です。

主体(subject)は、ものごとを見たり、認知したりする側です。具体的には、私。
客体(object)は、見られたり、認知されたりする側です。具体的には、ネクタイ。

さて、ネクタイの価値は主体である私が見出すものか、客体であるネクタイに備わっているものか。どちらか、あるいは両方か。そういう問題です。

で、私は「両方」派です。


考え方の純化


考え方を突き詰めます。

商品と顧客ではなく、客体と主体でとらえます。価値の有無は「商品」に限ったことではありません。より一般的な概念でとらえた方がいいですね。

[商品]には価値を内包しないことです。価値は、[顧客]が見出すものであり、[顧客]のなかにあるのです。

商品を客体に、顧客を主体にした一般形にすると

[客体]には価値を内包しないことです。価値は、[主体]が見出すものであり、[主体]のなかにあるのです。

となります。


それでいいですか?


客体には価値がなく、価値は主体のみが見出すとします。

その考えを人間関係に適応します。客体はあなた、主体を私とします。

「あなたには価値がありません。価値は、私が見出すものであり、私の中にあるのです。」

となります。

そういうものでしょうか。(-_-;

私が価値を見出すかどうかにかかわらず、あなたには価値がありますよね。そうでなきゃ、おかしいです。


思うこと


価値を見出せるのは主体だけ、という考え方を私は取りません。

客体には最初っから価値が備わっていて、主体がそれに気づくかどうか、どれだけの価値を見出せるか、見出せないか、見出し過ぎるか、というものだと思っています。

客体と主体は一方的で絶対的な関係ではないと思います。

サービスの供給者と需要者、商品と顧客の関係も、一方的で絶対的なものではないと思っています。

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