DNAR 患者の医療拒否権に思うこと

DNARという言葉を知りました。

Do Not Attempt Resuscitation の頭文字です。Resuscitation は「蘇生」の意味なので、

蘇生を試みないでください

ということです。

究極の、私の望むようにさせてくれ、です。


高齢者の思いは


「救急搬送:蘇生処置『希望しない』経験6割 消防本部など」という記事を読みました。[外部記事]

心肺停止の高齢者を救急搬送する際、現場で蘇生処置を希望しないとの意思が示されることがあるそうです。

高齢の方って、表に出すかどうかは別として、ある程度は自分の終わりを意識しながら生きている気がします。心臓発作で倒れたり、脳梗塞で倒れたりしたときのことも考えているかもしれません。

いざ、その時になって救急搬送されたとき、

もういいです

という覚悟ができている人もいるのかなと思います。

実際の高齢者の思いは分かりません。自分が高齢になった時に、そういう覚悟が持てるかも分かりません。ただ、なんとなく、延命や蘇生を望まない高齢者もいる気がするのです。


救急の現場の悩ましさ


元記事によると、「消防法令は蘇生措置の実施と、死亡と判断して搬送しない場合しか想定しておらず、蘇生中止に関する法的規定はない」とのこと。

救急搬送された高齢者は蘇生を望まないにも関わらず、現場の判断で蘇生中止を選択できない。それでは現場は悩みますね。

考えた点を引用します。

DNARの対応を「決めている」のは44機関で全体の6割。具体的には「本人の(蘇生不要の)希望や医師の指示があっても、家族を説得し心肺蘇生を継続する」が21機関と最も多く「かかりつけ医から中止の指示があれば心肺蘇生を中止する」は12機関だった。


本人の希望があっても、心肺蘇生を継続するのが最も多い。

この点に難しさがあります。

本人の意思に反してでも、事情が何であっても命を救うのが救急に携わる人の心意気。

余命の短い高齢者でも、自ら人生を終えようとした未遂者でも、抗争相手に撃たれた反社会勢力の人でも、救急車の中にいれば命を救うことに全力を傾けるのでしょうね。


法整備と一人一人の意識


元記事にもありましたが、現場の人が困らないように、蘇生中止が「不法行為」とならないような法整備は必要でしょう。

それよりも次の言葉が重たかったです。

北九州市立八幡病院の伊藤重彦・救命救急センター長は「救命目的で活動する救急隊に、現場で蘇生するかしないかの判断を求めるのは無理だ。蘇生を望まないなら救急車を呼ばないなど、どんな最期を望むのかを一人一人が自分の問題として捉える空気の醸成が必要だ」


蘇生を望まないなら救急車を呼ばない。

そうですね。

ストレートな言葉だから心に響きます。

現場で働く人への思いも含まれている気がします。


思うこと


私が高齢者になったとき。

心臓発作で倒れたとき、救急車を呼ばずにそのまま最期を迎えようとするか、誰かが救急車を呼ぼうとしたら呼ばないで欲しいとすぐに言えるか。

まだ分からないです。

ただ、一日一日を満足して過ごせたら、そのうち答えが得られそうな気がします。

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