カテゴリ:難しい問題を考えてみた の記事一覧

強い言葉を使わなくても通じると思います

ネット上の情報発信はつい言葉が強くなりがちです。

今回は、ネット上の情報発信について思うことです。


バカ、クズ、ゴミ、欲豚


投資関連のネット上の記事、ブログ、ツイッター見ると、ときどき、バカ、クズ、ゴミのような言葉を目にします。先日は欲豚といった言葉も目にしました。

強烈な単語ですね。


感覚が麻痺してくる


強い言葉を日常的に使っていると言葉の感覚が鈍ってくると思います。

言葉の感覚が鈍ると、その言葉を受け止める人への思いも鈍ってくる気がします。普段から攻撃的な言葉を使う人は、言われる人がどういう感情になるかに無頓着ですよね。

言葉を発すれば受け止める人がいて、ネットで文章を書けば読んでくれる人がいます。

ネガティブな言葉は第三者に向けたもので、直接に読んでくれる人に向けたものでないにしても、その言葉を使うことが適切なのかという思いを惹起しますね。

最後はその人に跳ね返ってくると思います。


思うこと


自分が発した言葉を受け止めてくれる人への思い。

それは大事にしたいなーと思います。

投資に関しても、人生のいろいろについても、価値観は人それぞれです。

価値観が違うから意見が合わないことはたくさんあります。

だからこそ、直接の相手はもちろん、まわりのすべての人、そして自分に対して、礼節を保った言葉を選ぼうと思います。

そんなことを思いました。

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若者には投票券を3人分 それって憲法違反では?

元SEADLsの奥田愛基氏の「若者には投票券を3人分あげたほうがいい」という意見を見かけました。[外部記事]

今回は、意見の整合性や無矛盾性について


若者に3倍の投票力を?


気になるところを引用します。

また、原田曜平が若者人口の少なさを指摘すると、奥田は「かなり極論を言うと、若者に投票券を3票あげたらいいんじゃないかって本気で思っていて。だって若者が全員選挙に行っても、上の世代と意見が違ったら若者の政策が通らないわけじゃないですか」と話し、(略)


若者の投票力を3倍にという意見です。

ん・・・

この手の発想は民主主義とは相容れないと思うんです。

民主主義の理念の一つに、どんな人であれ平等の投票権を持つというのがあります。若者だけ3票持っているとすると、一票の格差が年齢によって3倍になるわけですね。

一票の格差が拡大すると違憲、あるいは違憲状態となってしまいます。


理念に対する整合性と一貫性


SEADLsの主張は、民主主義の順守、憲法の順守だと思います。

政権に対し憲法を守れ!と言いつつ、自らは違憲となりうる3倍の投票権を述べていますね。

ご本人は「かなり極論を言うと」と述べていますが、私には「極論」というよりは「矛盾」と思えます。一人3票という主張だけを切り出せば極論ですが、普段の主張との関係では矛盾と思えますね。


とはいえ、人は矛盾を抱えるもの


別に奥田氏に限ったことではなく、私も、発言が矛盾することはあります。

人は常に整合的であるわけでもなく、常に無矛盾でいられるわけでもありません。ゆらいでいたり、過去とは意見が変わっている事もあります。

なので、多少の矛盾はいいと思うんです。


思うこと


人は完全ではないので、一貫性や合理性はおおまかでもいいんだろうなと思います。

無矛盾もそんなに突き詰めてもしょうがないかもしれません。

思うのは

考えが浅ければゆらぎが大きくなり、考え過ぎれば凝り固まってしまうということ。

適度に深く、適度に広く、適度にゆるく、ものごとを見られるように心掛けたいです。(^^)

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投資信託は無価値です 価値と顧客本位に思うこと

投資信託は無価値で、顧客の資産形成に寄与して初めて価値を生むという記事を読みました。[外部記事]

過去記事:銀行と企業の関係に、医師と患者の関係を当て嵌めることへの違和感

でも取り上げたHCアセットマネジメント株式会社の森本紀行氏の見解です。

今回は、価値と顧客本位について


東京から大阪へ


東京から大阪に行くのに新幹線を使う人、飛行機で行く人、自分で車を運転していく人、船で行く人もいるかもしれません。時間をかければ自転車でも歩いてでも行けます。バイクで行くのもありですね。

行き方は複数あります。どれか一つが正解とか、どれかが間違っているわけではありません。

ものごとに対する見方や考え方も同じですね。森本氏は新幹線を使って、私は船旅をしている。そんな違いだと思います。


さて、価値について


重要な部分を引用します。

商品の悲劇は、商品には価値を内包しないことです。価値は、顧客が見出すものであり、顧客のなかにあるのです。ネクタイは無価値です。顧客が着用したときに価値を生むのです。融資は無価値です。その資金が顧客の事業に投下され、回転されて初めて価値を生むのです。投資信託は無価値です。それが顧客の資産形成に寄与して初めて価値を生むのです。


さて、どうでしょう。

私は違う考えです。

価値は、顧客が見出すものではありますが、それだけじゃないという考えです。また、有益かどうかと価値があるかどうかは少し別問題だと思います。今回は有益性ではなく価値に焦点を絞ります。


主体と客体


価値は主体にあるのか客体にあるのかの哲学論です。

主体(subject)は、ものごとを見たり、認知したりする側です。具体的には、私。
客体(object)は、見られたり、認知されたりする側です。具体的には、ネクタイ。

さて、ネクタイの価値は主体である私が見出すものか、客体であるネクタイに備わっているものか。どちらか、あるいは両方か。そういう問題です。

で、私は「両方」派です。


考え方の純化


考え方を突き詰めます。

商品と顧客ではなく、客体と主体でとらえます。価値の有無は「商品」に限ったことではありません。より一般的な概念でとらえた方がいいですね。

[商品]には価値を内包しないことです。価値は、[顧客]が見出すものであり、[顧客]のなかにあるのです。

商品を客体に、顧客を主体にした一般形にすると

[客体]には価値を内包しないことです。価値は、[主体]が見出すものであり、[主体]のなかにあるのです。

となります。


それでいいですか?


客体には価値がなく、価値は主体のみが見出すとします。

その考えを人間関係に適応します。客体はあなた、主体を私とします。

「あなたには価値がありません。価値は、私が見出すものであり、私の中にあるのです。」

となります。

そういうものでしょうか。(-_-;

私が価値を見出すかどうかにかかわらず、あなたには価値がありますよね。そうでなきゃ、おかしいです。


思うこと


価値を見出せるのは主体だけ、という考え方を私は取りません。

客体には最初っから価値が備わっていて、主体がそれに気づくかどうか、どれだけの価値を見出せるか、見出せないか、見出し過ぎるか、というものだと思っています。

客体と主体は一方的で絶対的な関係ではないと思います。

サービスの供給者と需要者、商品と顧客の関係も、一方的で絶対的なものではないと思っています。

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「人生100年時代」 本当に来ると思いますか?

人生100年時代です。

老後はますます伸びます。このままでは年金制度は大変なことになります。老後破綻です。節約しましょう、投資しましょう、働きましょう・・・

と、煽りの材料に使われますね。

今回は、人生100年時代について


平均寿命の長い国


戦争や紛争、テロ、殺人事件などで命を落とす人が多い社会、衛生環境や医療に課題があって乳児死亡率が高く、国民の平均寿命が低い国。そういう社会よりは、長寿で過ごせる社会の方がいいですよね。

日本の平均寿命が長いのは、治安がよく、衛生的で医療水準も高く、しかも医療保険も整っていて、普通に医療サービスを受けられるのが大きいと思います。

もっとも・・・

延命のための医療で生かされている状況、という影の部分もあるでしょうね。


さて、本題


さて、人生100年時代。

そんなに生きるかな・・・というのが率直なところです。

これまでの数十年で平均寿命が長くなったのは、主に衛生、医療、栄養などの環境によるものでしょう。ただ、それも限界はある気がします。

人の遺伝子が突然変異して、種として長命化しているわけじゃないので、どこかで生物学的な限界が来るはずです。

それを推計してみました。


40歳男性の平均余命


40歳まで生きた男性の寿命を、40歳+平均余命で表しました。[データ出典:厚生労働省]

0歳の人の平均余命が平均寿命ですが、時系列でみるときは乳幼児死亡率の影響が大きいので、40歳まで生きた人の寿命で見ることにしました。(細かいことを気にしない人は、ざっくり平均寿命の図と思っていただいても結構です)

male_noline.jpg

縦軸は年齢、横軸は西暦です。

緩やかな上り坂ですね。


過去は将来を保証しないけれど


過去からの延長線上で考えてみます。

高次の非線形回帰分析をやってみました。

male.jpg

これで見ると、2037年(20年後)でも男性は83.3歳でした。


male.jpg

女性は、2037年で86.6年です。

ん?

実は、2016年時点で40歳女性の平均余命は47.8年、つまり87.8歳です。伸び率が鈍化していることで、曲線で推計すると減少に向かうという結果になりました。


思うこと


上の図は過去データを使って延長線を引いたに過ぎないので、どこまで将来を表すかは微妙です。

ただ、そんなに違和感ないです。

「人生100年」よりはしっくりくる結果でした。

私は、人生50年、人生100年、の中間点くらいが望みです。(^^;

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コストがかかって機能性の低い人は、生きる価値は無いという考え方

相模原市の知的障害者施設で多くの人が殺傷された事件から1年が過ぎました。

NHKは被告との手紙のやり取りを記事にしています。[外部記事]

今回は、価値と存在について


手紙の中身


手紙の中身を引用します。

- 障害者を育てることは、ばく大なお金と時間を失うことにつながります
- 意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ
- この人たちを殺したらいいんじゃないですかね?と声にしました
- 重度・重複障害者を肯定することはできませんでした


限られた情報からの想像ですが、

人の命を「コスト」と「機能性」でしか考えていないように思えます。

機能性という言葉が適切かは悩みましたが、他に語句が思いつかないのでこのまま進めます。意思疎通が取れる、取れないという軸を表すのに機能性という語句を用いました。

極論すると、コストがかかって意思疎通のできない人は消し去っていい。生きている価値が無い。そういう考え方なのかな、と。


専門家の見解


やや長いですが専門家の見解を引用します。

前田教授は「植松被告は恣意(しい)的に人間の尊厳が認められる人と、認められない人を作り出していて、それ自体がすべての人間に尊厳があるという考え方に反している。この社会にとって、障害のある人たちはマイナスだという意識が非常に強く、その部分だけが前面に出て行動につながり、自分の行動を正当化している」と指摘しています。


そのうえで、前田教授は「1年たっても『意思疎通のできない人間に生きる価値はない』という思想が残っていて、相当根強い差別意識が心の中で固まっていると考えられる。自分たちの側にある種の正義があるという認識を持ってしまうと、なかなか、それを改めるチャンスに恵まれにくい面がある」と述べました。


差別意識なのか、それとも、偏狭な正義の意識なのか・・・

前田教授の「自分たちの側にある種の正義があるという認識を持ってしまうと、なかなか、それを改めるチャンスに恵まれにくい面がある」という言葉は重たいです。

差別はよくないもの、正義は正しいもの。

そういう思いを持ちますが、場合によっては、両者の間にはそれほどの差は無いのかもしれません。誤った正義感は自分も他者も傷つける恐れがありそうです。


思うこと


殺傷事件では、障害者を支援するコストと意思疎通の機能性で、尊厳が認められる人間と、認められない人間に分けました。それが不幸につながりました。

同じように、ある人の主観的な評価軸で、「存在が認められる人、もの、サービス」と、「認められない人、もの、サービス」を分けます。

そうしたとき、その人にとって認められない方を、生きる価値が無い、存在する価値が無いと切り捨てられるものでしょうか。

価値観の押し付け、差別意識、正義があるという意識。

気をつけないと自分も他者も不幸にしてしまいそうです。

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