弱者の理解力に社会が合わせるべきか

おもしろい本を読みました。

中島義道氏の「善人ほど悪い奴はいない」という本です。

今回は、この読書感想文です。


弱者の定義


社会には強者もいれば弱者もいます。

本では、弱者を「自分が弱いことを骨の髄まで自覚しているが、それに自責の念を覚えるのでもなく、むしろ自分が弱いことを全身で『正当化』する人」と定義しています。


弱者ゆえの価値転換


弱者の中には次のように考える人が出てくるそうです。

「自分は、弱いけれど正しい。」

強さや弱さと、正しいと思うことは別問題なので特に違和感はなかったのですが、本では自分を保つための自己欺瞞としてこのロジックを用いています。

さて、ここかさらに進みます。大掛かりな価値転換です。

「自分は弱いけれど正しいのではない。自分は弱いがゆえに正しいのだ!」

と。

この価値転換は考えさせられますね。


社会の弱体化


本を読んでいてなるほどと思ったところを引用します。

私は弱者なんだから、みんなが理解していることが理解できなくとも、思わぬ過失をして大損失しても「しかたない」とはならない。そうではなく、弱者の理解力に合わせて、弱者がいかなる損失も被らないような「思いやりのある」社会を実現しなければならないのだ。つまり、自分ら弱者に社会全体が「合わせるべきだ!」と大声で訴えるのである。


著者の中島氏は続けて、「こうすることによって、彼(女)は社会全体を弱体化することを目指す」と述べています。

なるほど・・・

弱いがゆえに正しいと価値転換し、弱さを正当化し、弱者の理解力に社会が合わせるべきと主張する。しかしそれは、社会全体を弱体化させる。

ということですね。


思うこと


弱者に社会全体が合わせるべきだ。

そう大声で訴える人は一部の人だと思います。

社会のあり方と個人の努力のバランスですね。弱者を自称する人に優しい政策は、必ずしも社会全体の利益にならないでしょう。本にあった社会全体を弱体化させるという視点も重要だと思いました。


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3586:

弱者や少数派、この方々を配慮するのは当然だろうけど
強者や多数派を蔑にして良いわけじゃないと思うんです。

弱者はさらに弱者となり、少数派はさらに分裂し少数派となり、権利の主張を繰り返しますから。
てことは強者も多数派もより強く権利の主張しても良い、ということになりかねない。

2017.09.11 15:12 いろいろでセカンドライフ #- URL[EDIT]
3587:

※3586:いろいろでセカンドライフさん
そうですね。強者や多数派を蔑ろにして良いわけじゃないですね。

弱者や少数派への配慮は必要ですが、配慮しすぎるのは別の問題を生じそうです。

2017.09.11 18:26 小黒とら #j72wRO66 URL[EDIT]

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