フィデューシャリー・デューティーに関する一考察

金融取引にかかわる「フィデューシャリー・デューティー」(受託者責任)について考えました。

金融商品について、また受託者責任について、さまざまな意見がありますね。緩やかな関係性で意見のやり取りができるのはブログの良さだなと思います。

今回は受託者責任について

なお、受託者責任を重視するのとは違った角度からの内容です。その点、あらかじめご承知おきください。重要性を否定するものではありませんが、投資家は自己防衛の意味でも、受託者責任に期待しすぎない方がいいという意見です。


議論の前提


フィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)は長いので、以降は「受託者責任」とします。

さて、この受託者責任ですが、なにも金融機関と個人投資家だけに当てはまるものではありません。受託者と委託者の関係は医者と患者、経営者と株主、政府と国民にも見られます。

複雑で難しい問題、専門知識が必要となる問題での受託、委託関係です。


先行研究


日本銀行金融研究所が設置した「『金融取引におけるフィデューシャリー』に関する法律問題研究会」のレポートが参考になりました。[参照]

そこからの引用です。

その前に、日本の法体系についてレポートから少し注釈を入れます。

日本は、大陸法の系譜を汲んでいますので、かつての英法のように厳格な普通法(common law)と柔軟な衡平法(equity)との法体系の分化は見られません。日本では、契約内容の柔軟な解釈を通じ、救済が図られてきました。

で、引用です。

フィデューシャリーに課せられる信認義務は、日本法において決して目新しい義務というわけではなく、日本法上の善管注意義務および忠実義務は、英米法における信認義務の中心的な内容を構成する義務に相当するものとして捉えられる。


わが国においては契約の存在が比較的容易に認められるうえ、契約に基づく義務の内容についても柔軟に解釈することができるため、契約責任を比較的広範に追及できる。また、日本では、英米と異なり、民法において不法行為責任が包括的に規定されており、仮に契約関係を認めることができない場合であっても、多様な態様の権利侵害に柔軟に対応できることから、この点においてもフィデューシャリーの概念を導入する意義は小さいとされている。


端的に言うと、日本は大陸法の流れを汲んでいるので、現在の法体系でも受託者責任を柔軟に追及できるという見解です。

もちろん、一部だけを切り出していますので、レポートの中にはフィデューシャリーの概念を日本法に導入することについて、積極的な意見もあります。


私の見解


私は、現在でも「受託者責任」という概念があり、法整備もあるのだから、あえて新語としてフィデューシャリー・デューティーを持ち出さなくてもいいのにと思っています。

もし、受託者責任に反する行為があるなら、現行の法律でも罰することはできます。金融庁は行政処分も下せます。

概念も法律もないなら「輸入」すべきですけど、現状でも受託者は「受託者責任」を課せられているわけです。


思考実験


金融機関と個人投資家の関係ではなく、政府と国民の関係で考えましょう。

社会契約論で考えると、包括的な契約として、国民は、国の運営を政府に委託しています。主権者である国民が委託者で、政府は受託者です。だから行政官(官僚・公務員)は受託者として私利私欲なく、公のために奉仕しなくてはいけません。理念的には。

さて、私は日本国民の一人です。

私のニーズが次のようなものだとします。

積立NISAは私のニーズに反する。自由度が低すぎる。その代り、積立NISA枠の800万円分の非課税枠が欲しい。しかも何にでも投資できて、売ったらおしまいの使い切りの枠ではなくて、生きている限り有効の非課税枠。

このニーズに対して、金融庁が、いやいやムリムリ、そんな都合のいいニーズに応えるのはムリ、と答えたとします。

私は、ニーズに反して積立NISAを推進する金融庁の受託者責任を追及できるでしょうか。


ニーズの多様性


国民のニーズは多様です。

すべての国民の、すべてのニーズを満たすことは不可能です。

受託者である政府には、すべての国民に対して平等に、公平に接する責務があります。特定の人物のニーズを聞くわけにはいきませんね。

同じようなことは、さまざまな委託・受託関係で見られます。

自分にとってダメだと思える商品やサービスでも、他の人は満足していることはあります。なので、私のニーズと違うからといって、金融庁の受託者責任を追及するわけにはいきません。


それでも受託者責任を


仮に、それでも私が金融庁の受託者責任を追及したいとします。

取るべき手段は行政訴訟でしょう。

積立NISAは私のニーズに合ってない。そんな政策を押し進めるのは受託者責任に反する。私のニーズに合う非課税枠を設定すべきだ。

といって訴訟を起こして・・・

勝つ見込みはないでしょうね。

積立NISAに違法性はありませんし、私のニーズは都合が良すぎますから、それに応える義務は金融庁にないと判断されるでしょう。

ん・・・

毎月分配型はニーズに合わない。そんなファンドを押し進めるのは受託者責任に反する。私のニーズに合う投信を設定すべきだ。

といって金融機関を相手に訴訟しても同じですね。

毎月分配型でなくても、テーマ型ファンドでも、ラップ口座でも、通貨選択型のファンドでも、アクティブファンドでもインデックスファンドでも同じです。


投資家はどうすべきか


紛争は、最後は法的な解決しかなく、受託者責任を問うのも同じことです。

英法の衡平法の考え方や日本の柔軟な法解釈である程度は救済できても、正義や道徳といった領域に過度に期待すべきではないでしょう。

では、投資家はどうすべきなのか。

1. 自分のニーズ、投資目的を明確にする。
2. それに合った投資商品を選択する。
3. その他の投資商品は気にしない。

それが自らを守ることにもなると思うんです。

で、1と2を実現するには、最低限の努力や勉強は必要ですね。

3.は鈍感力で・・・ (^^;

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3482:

以前、加減乗除の話で、教えていないことは例え答えが正解でも不正解だったり減点の対象となるということがネットを騒がせていました。今思えば、悪しき平等主義、学校より先に進んだ学習塾や親御さんの教育が、教えていない!との1言より評価されなかったのかもしれません。そこには文科省の傲慢なお上の言われた通りにしろ!という考えがあるのかなと思っています。今回は、愚かなる金融庁です。同じでないと言い切れないのではと思う次第。

ニーズの有無なんて話にしてしまうと、全てが成り立ちません。ニーズが多ければ正しいのか?逆に少なければ正しいのか?。毎月分配はニーズが多く買われているから正しいのか?逆にインデックスのような徐々に伸びているがまだ大した額になっていない投資信託はニーズが低いから正しくないのか?

先日のコメントにしたB級グルメですが、食品衛生上許されていない調味料とかあったら問題です。ですが、何ら法的に問題なく許されているものをして、自分らの都合に合わないから許容しないというのは、どのような法的根拠から来ているんでしょうかね?甚だ疑問です。

最後に
「ニーズに反するから」と劣悪と言うのは、どういう観点なんだろうな?と思います。ニーズがなくともニッチなところを攻める商売方法だってあります。本だってそうです。あまり興味を持たれないジャンルの本は、ニーズがないから劣悪とでも称するのでしょうか?。人が多く住まずそして離散していった災害地は、ニーズが低いから劣悪で、だから放置でいいとでも言うのでしょうかね。劣悪なのは、金融庁をはじめとする誰かの頭だと思いますがね。

2017.07.17 19:36 煙々 #RaJW5m0Q URL[EDIT]
3483:

※3482:煙々さん
官僚の無謬性神話や権威主義は根深いものがありますね。

本にしても住む場所にしても、ニーズと正しさ、ニーズと優劣は必ずしも一致しないですね。

やはり、みんなが共有できるものとして法的な部分で線を引くべきだと思います。それ以外の情緒的な部分で線は引けないですね。

線引きを変える必要があるなら、法律を変えるべきだとも思います。金融庁が特定のファンドを苦々しく思うなら、そういうファンドを締め出すべく正面から法律を改正すべきなのに、積立NISAを作って搦手から圧力をかけようとしているのが残念です。

2017.07.18 00:15 小黒とら #j72wRO66 URL[EDIT]

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